※この記事は、Evocative Session Lab Practice3の内容をもとに構成しています。一部、講座での学びを前提とした専門的な内容を含みます。
セッションのあとに、「もっとこうすればよかった」と思うことがあります。
あの場面で、別の質問ができたかもしれない。
もう少し違うアプローチがあったかもしれない。
相手の変化を、こちらが十分に確認できなかったかもしれない。
そういうしこりやモヤモヤが残ることは、珍しくありません。
けれど、そこで考えておきたいのは、セッションは誰のためのものかということです。
セッションは、セラピストのためのものではない
セッションは、コーチが納得するためのものではありません。
クライアントのものです。
こちらが「うまくできた」と感じたかどうかよりも、クライアントがどう感じたのか。その人の中で何が起きたのか。その後、どんな変化が出てきたのか。そこが大切になります。
だから、こちらが少し納得できていなくても、クライアントが「よかった」と感じているなら、まずはそれを受け止めていい。
むしろ、自分が「いいセッションだった」と満足している時のほうが、少し注意が必要な場合もあります。
こちらが満足しているということは、自分のためにセッションをしていた可能性もあるからです。
反対に、自分が「うーん、どうだったかな」となっている時に、クライアントから「よかった」「変わった」と言われることがあります。
こちらは納得できていない。
けれど、相手は納得している。
この状態が、ある意味では理想なのかもしれません。
変化は、その場で出るとは限らない
セッションをして、その場ですぐに大きな変化が出ることもあります。
ただ、いつもそうとは限りません。
その場では何が起きたのか、こちらにもよくわからない。けれど、クライアントが家に帰って数日過ごし、誰かと話している中で、少しずつ変化が現れることがあります。
セッションの場で、何かを解決したように見えなくても、その人の中には刺激が残っている。
その刺激をきっかけに、あとから反応が出てくることもあります。
エリクソンの言葉に、ピストルが鳴ったら走るのはクライアントだ、というような話があります。
コーチがゴールまで連れていくのではなく、何かのきっかけを渡して、そこから先はクライアントが進んでいく。
そう考えると、その場で結果を確認しようとしすぎなくてもいいのかもしれません。
種をまくようなものです。
種をまいた人が、その後どんなふうに育っているかを、いつも見られるとは限らない。けれど、見えないところで影響が続いていることはあります。
絵を描いた人が、その絵を見ている人たちの反応をすべて見られるわけではないのと似ています。
見ている人が、何かの影響を受けている。
そのことは、描いた人にはわからない場合もあります。
セッションにも、そういう芸術的なところがあるのかもしれません。
「どうしようかな」と思いながら進める
セッションでは、いつも最初から答えが見えているわけではありません。
「今日はどうしようかな」と思いながら始める。話を聞きながら、出てきたものを捕まえていく。また何かが出てきたら、それについて聞いてみる。
そうしているうちに、少しずつ状態が変わっていく。
私自身、「どうしようかな」と思わないセッションはありません。
どうしようかなと思いながら、最後まで思っています。
その経験をたくさんしていくと、必要な時に何かが思いつくようになる。どうやって思いつくかというより、必死にやっているうちに何かが出てくる、という感じです。
その時に出てくるものは、普段学んでいることや、自分で試していることがベースになります。
学んだことを、そのまま手順として使うというより、やってきた体験そのものが、セッションの中で生きてくる。
だから、思った通りに進まなかったセッションも、無駄にはなりません。
あとから「あの時は、こうできたかもしれない」と思うことがあれば、次に生かせばいい。
その時は、その時なりにベストを尽くしています。
クライアントの満足と、自分の探求は分けておく
ここで、もう一つ分けて持っておきたいものがあります。
クライアントの満足と、セラピスト自身の成長や探求です。
たとえば、相手からなかなか「はい」が取れない。こちらの言葉に対して、何度も「そうではなくて、こうです」と返ってくる。
セラピストとしては、モヤモヤするかもしれません。
けれど、その人がセッションに来て、話をして、リラックスして過ごせているなら、それはそれで一つの満足があるのかもしれない。
こちらがすっきりすることと、相手が満足することは、同じではありません。
そして、相手が満足するかどうかとは別に、セラピストには探求できることがあります。
なぜこの人には、こちらの言葉が「はい」にならないのか。
どんな言葉なら受け取りやすいのか。
話の大きさが合っていないのか。
その人が使いやすい感覚のチャンネルと、こちらのアプローチがずれているのか。
そう考えていくと、うまくいかないことも探求の材料になります。
ただし、それはクライアントを変えるために、相手の満足を犠牲にして行うものではありません。
相手の満足は相手のものとして尊重する。
そのうえで、自分の成長や探求は、自分の軸として持っておく。
この二つを、別々に持っておくことが大切なのだと思います。
セラピストが納得できないからといって、セッションが失敗したとは限りません。
こちらにしこりが残っても、クライアントの中で何かが動いていることがあります。
その変化は、その場では見えないかもしれない。
本人から報告されないこともある。
それでも、セッションの満足を、セラピストの納得だけで測らない。
このことは、忘れないでおきたいと思っています。
