※この記事は、講座での対話をもとにした補足解説です。

ある方が、親との関係について話している中で、こんなことを言いました。

これまでずっと母親の話を聞いてきた。そして、自分は何も知らなかったから、母親越しに周りの人を見ていたのだと思う、と。

特に兄弟については、母親がその人をどう感じているのか、その話を聞きながら、自分も同じように見ていた。

そうすると、いつの間にか、

「この人はこういう人なんだ」

ということが、自分にとっても当たり前になっていくことがあります。

自分で見ているつもりでも、誰かの目で見ている

これは、とても興味深い話だと思います。

私たちは、自分の目で世界を見ていると思っています。

でも、その中には、いろいろな人の見方が入っているのかもしれません。

この時に出てきたのは、母親のフィルターでした。

母親から、

「あの人はこういう人だ」

「こんなことがあった」

「私はこう感じた」

という話を聞く。

まだ自分自身の経験がそれほどない時には、それをそのまま世界の見方として受け取ることがあります。

この方も、

「その目で見ると、もうそういうものだと思ってしまっていた」

と話していました。

もちろん、それが悪いという話ではありません。

私たちは最初から世界のことを知っているわけではないので、周りの人に教えてもらいながら世界を知っていきます。

この講座の中でも、親やその前の世代から、

「世界はこういうところだよ」

「ここは危険だよ」

「こんなふうに生きなさい」

というものを受け継いでいく、という話をしました。

そして、そのおかげで今まで生きてくることができた部分もあったりします。

「それは私が経験したことなのか?」

でも、ある時から少しずつ、自分自身の経験が増えていきます。

いろいろな人と出会ったり、いろいろなことを学んだりする。

すると、

「あれ?」

と思うことが出てくる。

これまで当たり前だと思っていた見方と、自分が実際に経験していることが、少し違う。

この方も、ここ1年くらいいろいろなことを学んでいく中で、そのことに気づいたと言います。

そして、一つ区切りをつけようと思った。

「私はそれを直接言われたわけではない」

親から話を聞くことはある。

でも、それは親が経験したことです。

自分自身がその人から直接言われたことではない。

だから、親から話を聞いたとしても、それと自分自身の経験を分けてみようとした。

これは、親の話を否定することとは少し違います。

「母親が間違っていた」

とする必要はない。

母親には、母親から見えていた世界がある。

その経験の中では、そう感じたのかもしれません。

でも、

母親から見えている世界と、私から見えている世界は同じとは限らない。

そこを少し分けていく。

フィルターを外すことは、親を排除することではない

この日の対話の中で、その方は、

「排除しようとするんじゃなくて、どう自分が向き合っていこうかな」

と話していました。

ここは大事なところだと思います。

親の影響に気づいたからといって、親を排除する必要はありません。

親の影響を全部なくそうとする必要もない。

親を消すわけではない。

親の話を聞かなくなるわけでもない。

ただ、

これは母親が見ているもの。

そして、私は私の目でこの人を見てみる。

そこを分けていく。

そうすると、これまで一つになっていたものの間に、少し距離が生まれてきます。

何を持っていって、何を返すのか

この日の対話は、その後、世代から受け継いできたものの話へとつながっていきました。

親や、その前の世代から、私たちはたくさんのものを受け取っています。

そのすべてを捨てる必要はありません。

何をこの先も持っていきたいのか。

何はもう十分だから返していきたいのか。

それを選べる時期が来る、という話をしました。

世界の見方についても、同じことがあるのかもしれません。

「この人はこういう人だ」

と思った時。

「これは危険だ」

と思った時。

「きっとこうなる」

と思った時。

すぐにその考えを変えるのではなく、

「これは、私自身が経験したことなんだろうか?」

と確かめてみる。

もしかすると、そこには誰かから受け取った見方が混ざっていることがあります。

それに気づいたら、自分の目でもう一度その人を見てみる。

同じように見えるかもしれないし、違って見えるかもしれません。

どちらが正しいかを決めるというより、自分自身がどう感じるのかを、もう一度経験してみる。

そうやって少しずつ、自分の目で世界を見ることができるようになっていくのだと思います。

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