※この記事は、Evocative Session Lab Practice3 Day1の内容をもとに構成しています。一部、講座での学びを前提とした専門的な内容を含みます。

パートの理解を深めようとすると、「なぜそんなことをするのか」と理由を知りたくなることがあります。

その行動は、どんな体験から生まれたのか。

何があったから、そのやり方を身につけたのか。

そこをたどっていけば、そのパートのことを理解しやすくなるようにも思います。

もちろん、「なぜ」を聞いてはいけないわけではありません。聞きたいと思えば聞いても構いません。

ただ、パートを扱うとき、私はそれよりも、

「何をしようとしているのか」

という意図の方に注目することがあります。

そこには、パートがどのように生まれ、そしてセッションで何をしようとしているのか、ということが関係しています。

パートは、過去の体験から身につけた戦略

今回扱っているパートは、サバイバル自己や、自分を凍結したかつての自分です。

こうしたパートは、未来にできるものではなく、必ず過去にできるものです。

人は何かを経験し、その経験から学習します。

それが肯定的なものであれ、ネガティブなものであれ、次に生き延びるための学習になります。

そして、それは一つの戦略にもなります。

例えば、うちの子どもたちは、出かけるとすぐに「お腹すいた」と言い出します。

朝ごはんを食べたばかりでもです。

これは何かというと、コンビニに寄ってお菓子を買いたいわけですね。

例えば、娘がもっと小さかった三歳くらいの頃。

「お腹すいた」と言ったら、コンビニに寄って、おにぎりやお菓子を買ってもらえた。そんな経験が何度かあったとします。

すると、その戦略を六歳になっても使います。

「お腹すいた」

これも、パートを考える上ではわかりやすい例です。

ただし、これは、

「よし、お腹すいたと言えばコンビニに寄ってくれるだろう」

と考えてやっているわけではありません。

思考戦略ではないんですね。

もっと直感的で、短絡的なものです。

自分が快適に生きていくために、いつの間にか身につけた戦略です。

原体験はあっても、それを覚えているとは限らない

だとすると、こうしたパートには原体験があります。

ただ、原体験があることと、その体験を本人が覚えていることは別です。

三歳の頃、「お腹すいた」と言ったらコンビニに寄ってくれた。

その経験を、二十歳になっても覚えている可能性は低いでしょう。

けれど、そこで身につけた戦略は残ることがあります。

例えば、直接言わずに、間接的に遠回しに言うことで相手を動かそうとする。

そして、サバイバル自己は成長していきます。

三歳のやり方、六歳のやり方、十五歳のやり方、二十歳のやり方、四十歳のやり方。

生き抜く術を身につけながら、そのやり方自体も変わっていきます。

ところが、あるところで、それがうまくいかなくなることがあります。

察してもらうコミュニケーションではトラブルになる。

直接言葉で伝えなければならない場面でも、間接的に伝え続けてしまう。

そうして問題になり、セッションにやってくるわけです。

体で学んだことを、言葉で説明できるとは限らない

そこで、そのパートに、

「なぜ間接的に言うんですか?」

と聞いたとしても、三歳の頃の原体験まで遡って説明してくれるとは限りません。

なぜなら、それは体で学んだことだからです。

言葉で学んだことではありません。

自転車のバランスの取り方を言葉で説明するのが難しいのと似ています。

泳ぐときの息継ぎの仕方も、体ではできるけれど、それを言葉だけで説明しようとすると難しい。

体で覚えた、無意識で覚えたプロセスがあります。

だから、「なぜそれをするのか」と聞いても、その答えが原体験まで遡るとは限りません。

もちろん、大人になったサバイバル自己であれば、

「直接言うと、こうなるから」

という理由が出てくることもあります。

だから、「なぜ」を聞いてはいけないわけではありません。

ただ、原体験を思い出し、その理由を解き明かさなければセッションが進まない、というわけでもないのです。

理由を解き明かすことが、セッションの目的ではない

ここが、「なぜ」よりも「何をしようとしているのか」を聞く理由につながります。

私たちは、

「この人が、なぜ今こんなふうになっているのか」

という理由を解き明かすためだけに、パートを扱っているわけではありません。

今と未来をよりよく生きるために、今ある反応を別の反応へと変えていく。

そのために、今の私と、今反応しているパートとの関わり、関係性が変わっていくことを目指しています。

だから、

「なぜするのか」

だけではなく、

「何をしようとしているのか」

という意図に目を向けます。

そのパートが何をしようとして、その反応をしているのか。

そこをほんの少し聞いていくことで、今起きている反応を承認していくことができます。

そして、意図がわからないこともあります。

その場合は、無理に言葉にする必要もありません。

言葉でわからないのであれば、体で承認していくプロセスへと変わっていきます。

いずれにしても、そのパートが自分を「守ってくれている」ということを承認していく。

理由をすべて解き明かすことよりも、今ここにいるパートとの関係を変えていく。

そう考えると、「なぜ」ではなく「何をしようとしているのか」と聞く意味も、少し違って見えてくるのではないかと思います。

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