「わかっている。でも変われない」
対人支援の場で、そんな言葉を聞くことがあります。方法を説明したり、解決策を示したりすれば変化につながるように思える。それでも相手が受け取らず、抵抗しているように見えることもあるかもしれません。
コーチングでも、セラピーでも、面談でも、私たちはつい「どう変えるか」を伝えたくなります。
けれど、その人が変われないように見えるのは、意志が弱いからでも、変化に抵抗しているからでもなく、まだ本人の中に「変えられるかもしれない」という感覚がないからだとしたらどうでしょうか。
変化を促す前に必要なのは、変え方を教えることではないのかもしれません。
症状を直接変えようとすると、「できない」が返ってくる
ミルトン・エリクソンに、耳鳴りに困っている患者さんと関わったケースがあります。
耳鳴りが苦しいのなら、普通は「小さくしてみましょう」「コントロールできるようにしていきましょう」と言いたくなるかもしれません。問題そのものを直接扱う、自然な関わり方です。
ただ、エリクソンはそうしませんでした。
なぜなら、直接的に症状を変える方法を求められても、患者さんにとっては「それができるなら、もうやっている」ということになりやすいからです。「そんな方法はできません」「知りません」という反応が返ってくるのは、むしろ自然なことです。
意識の側には、まだその方法が存在していない。
その状態で変え方を説明しても、相手の中にある「できない」という感覚を、かえって強めてしまうことがあるのかもしれません。
耳鳴りではなく、「体は固定されていない」ことを体験してもらう
エリクソンが先に扱ったのは、耳鳴りそのものではありませんでした。
トランスの誘導のなかで、血液が変わること、血圧が変わること、脈拍が変わることを体験させる。また、別の患者さんの血圧や脈拍が変化した話をしたり、睡眠中の循環は起きているときとはまったく異なるということに触れたりする。
ここで起きているのは、耳鳴りを直接変えるための説明ではありません。
むしろ、体や自分の知覚は、ずっと同じ形に固定されているものではない。そんな世界へ、その人を招き入れているように見えます。
「こう変えてください」と言う代わりに、自分が思っている以上に、体には柔軟さがあることを体験できるようにしていく。
説明として理解するのではなく、脈拍は変わるのだと自分で経験する。すると無意識は、「体の一部が変えられるのなら、耳鳴りにも何かできるかもしれない」と探索を始めるかもしれません。
耳鳴りを変えようとする前に、「変化は起こりうる」という感覚が育っていくわけです。
変化は、教え込まれるより発見されたときに残る
このケースから見えてくるのは、変化は教え込まれるものというより、本人の中で発見されたときに深く残っていく、ということです。
支援者が正しい方法を持っていて、それを相手に渡す。そういう場面もあるでしょう。
ただ、「わかっているけれど変われない」という人の前では、方法を増やす前に見ておきたいことがあります。その人がまだ、無意識的なレベルで「自分は変われるかもしれない」と思える土台を持てていない可能性です。
だとすると、関わり方は少し変わってきます。
問題をすぐに動かそうとするのではなく、その人のなかですでに起きている小さな変化や、固定されていない経験に触れられるようにする。そうした体験を通して、本人が自分自身の柔軟さを見つけていく。
対人支援は、相手を動かす技術ではなく、その人のなかにすでにある変化や回復の回路を見つける仕事なのかもしれません。
エリクソンが信頼していたのも、症状そのものを操作すること以上に、その人のなかにある学習する力だったように思います。
目の前の人が「変われない」と言うとき。私たちは変え方を教えようとしているのか、それとも、その人がまだ知らない「変われるかもしれない」という感覚に触れられるようにしているのか。
その違いを、少し立ち止まって見てみてもよいのかもしれません。
