セッションの最後に、「今日はここまでですね」「では、次回の予約はどうしますか」と区切って終えることはないでしょうか。

もちろん、時間が来れば終わらなければなりません。けれども、せっかくクライエントが深い感情に触れ、「今日はいい時間だった」と感じているとき、その体験がまだ続いているところで、急に現実の会話へ戻してしまうことがあります。

「じゃあ、今日はここまでです」と言われた瞬間に、まるでドアをバシャッと閉められたように感じる。そんな終わり方になっていないでしょうか。

今回は、支援者が見落としやすいセッション終了そのものを、ひとつの介入として考えるという視点を、一緒に探ってみたいと思います。

深い体験の途中で、急に終わっていないでしょうか

セッション中、支援者はクライエントの体験をとても丁寧に扱います。感情に触れたり、身体の感覚に意識を向けたりしながら、その人の内側で起きていることに寄り添っていきます。

ところが、終わる瞬間になると、「はい、ここまでです」と急に現実モードへ戻してしまうことがあるようです。

たとえば、深い感情に触れ、クライエントの中で何かが動いているような場面で、「今日はここまでですね。では、次回の予約はどうしますか」と続けてしまう。支援者にとっては自然な流れでも、クライエントの体験はまだ開いていて、続いているかもしれません。

その状態で急に区切られると、いい体験だったはずなのに、日常へ戻ったときには何も残っていないように感じたり、変化が定着しにくくなったりすることもあります。

セッションの終わりは「戻し方」まで含めて考える

セッションは、一種のトランスのような、集中した状態でもあります。だからこそ、入っていくことだけでなく、そこからどう戻ってくるかも大切になります。

催眠の場面で、「戻ってきてください」と言われれば、強制的に終わったように感じるかもしれません。けれども、「今、ご自身に必要だと思う回数だけ、深い呼吸を一回、二回、三回としながら、この場所にあなたのペースで戻ってきてください」と伝えられたらどうでしょうか。

そこには、自分で戻るという感覚があります。急がされるのではなく、自分に必要な時間をかけて、そろそろ戻ろうと決めることができる。

この違いは、身体感覚にも表れるのではないでしょうか。いきなりドアを閉められるのではなく、自分で「よし、そろそろ閉めようかな」と玄関のドアを閉める。そんな終わり方です。

これは、支援者にコントロールされるのではなく、クライエント自身の主体性を守る終わり方でもあります。

「終わり」ではなく、変化が続いていく入り口へ

セッションの終了を、そこで変化が止まる瞬間と考えなくてもよいのかもしれません。むしろ、変化がこのあとも続いていく入り口として見ていくことができます。

たとえば最後に、「今日のこの感覚が、このあと数分から数時間、あるいは明日、明後日にかけて、じわっと浸透していくことがあります。そして、何か新しい意味を持つこともあるかもしれません」といった余韻を残すことができます。

今ここで無理に答えを出したり、体験をきれいにまとめたりするのではありません。今日のセッションで起きたことが、あとから本人の中で動き、別の意味を持ちはじめる可能性を、そのまま残しておくのです。

そうすると、セッションの場を離れたあとにも変化が続いていくことがあります。終わったあとに何かがじわっと起こる、その余地を大切にするわけです。

クライエントが自分で「ここまで」と閉じられるように

大切なのは、急に閉じないことです。

体験がまだ続いているのであれば、その変化が続いていけるように関わる。そして、クライエント自身が「今日のセッションはここまで」と、自分の手で玄関のドアを閉められるようにする。

ミルトン・エリクソン博士は、催眠中の働きかけだけでなく、戻り方や終わり方まで含めて、すべてを治療として考えていたようです。

そう考えると、終了は単なる締めではありません。次の変化への扉であり、セッションの外へ続いていく入り口でもあります。

私たち支援者は、終わりの瞬間に何を言うのかだけでなく、クライエントがどんな感覚でその場を離れるのかにも目を向けられるのではないでしょうか。

今日の体験を、急いで終わらせるのか。それとも、その人自身のペースで、これからの日常へ持ち帰っていけるようにするのか。

セッションの最後の数分を、あらためて見直してみると、そこにも変化を支える大切な関わりが見えてくるかもしれません。

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