こんなことはないでしょうか。コーチングやセッションをしていると、「もっと深い介入をしなければ」「もっとよい質問をしなければ」「きちんと変化を起こさなければ」と、いつの間にか力が入ってしまうことがあります。
私たちは、何か特別な技法を使って相手を変えようとしがちです。でも、エリクソンは治療というものを、少し違う視点から見ていたようです。
それは、治療とは新しい参照体験をつくっていくことだ、という見方です。
治療は、催眠に入ってから始まるものではない
伝統的な催眠では、まず誘導をしてトランスに入り、その中でセラピーを行う、という順番があります。
けれども、エリクソンの場合は少し違っていたと言われています。出会った瞬間から、すでにセラピーが始まっていたのです。
最初の挨拶も、その後の雑談のようなやりとりも、沈黙も、相手の言葉の受け取り方も、そのすべてがセラピーの要素になっていたようです。
そう考えると、セッションの中で「どの技法を使うか」だけを考える必要はなくなっていきます。相手と出会い、そこに一緒にいる時間そのものが、すでに何かを生み出しているかもしれないからです。
その人の中に、あとから戻ってこられる体験を残す
参照体験という言葉は、人生の中であとから戻ってくる感覚として捉えると分かりやすいかもしれません。
たとえば、セラピーの中で「初めて安心して話せた」という体験があったとします。その人は日常の中で、何かを話すことに不安を感じたとき、「あのときは安心して話せた」と、その体験を参照できるようになるかもしれません。
あるいは、自分自身を否定せずに、怒りを安全に感じられた経験があったとします。その経験が新しい参照体験となり、後日、あるいは何年か後にも、「あのとき安全に怒りを感じられたから、今もこの感情を感じていて大丈夫かもしれない」と戻ってこられることがあります。
ここで大切なのは、説明を理解してもらうことだけではありません。新しい体験を、身体の感覚として残していくことです。
だからこそ、セッションは一回で完結するものというより、プロセスなのだと思います。その時間自体が新しい参照体験になり、日常の中で少しずつ起動していくのです。
セッションの力は、関係性の中にもある
この見方を持つと、セッションを「相手を変えるための場」として捉えにくくなります。相手に変化を起こそうとする力みが、少し減っていくのではないでしょうか。
対人支援では、何かをうまく言わなければならない、正しい質問をしなければならない、と考えることがあります。でも、安心して話せることや、分からないまま一緒にいられることそのものが、相手にとって大切な体験になる場合もあります。
その人が日常に戻ったあと、「ここでは自分のことを話せた」「ここでは否定されずに感じることができた」と思い出せるなら、そのセッションはその後の時間にもつながっていきます。
変化は、セッションの中で完成させるものではなく、セッションの外へ自然に広がっていくものなのかもしれません。
支援者自身にも、参照体験が必要になる
参照体験が必要なのは、クライアントだけではありません。支援者である私たち自身にも、それが必要です。
たとえば、「私には想像性がある」と感じられた経験。分からない中でも相手と関われた経験。一緒に探求することができた経験。
そうした体験があると、毎回のセッションで正解を探し続けなくてもよくなります。反対に、支援者自身がその感覚を持てていないと、セッションが正解探しになってしまうことがあります。
「今、何をすれば相手は変わるのか」と考え続けるのではなく、「この人と今ここで、どんな体験が生まれているのだろう」と見てみる。そんなところから、関わり方が少し変わるかもしれません。
対人支援は、単に問題を解決することだけではありません。その人の中に、あとから戻ってこられる感覚を残していくプロセスでもあります。
そして私たち支援者もまた、分からない中で関わり、相手と一緒に探求できたという参照体験を重ねていく。治療や支援を、そんな新しい体験を想像していく時間として見てみると、セッションの風景が少し違って見えてくるのではないでしょうか。
