丁寧に関わり、否定もしない。安全な場をつくっている。
それでも、相手が少し距離を取ることがあります。褒めても受け流される。いったんは受け取ったように見えても、こちらの言葉が届いていないように感じる。
そんなとき、もっと承認しなければいけないのだろうか。もっと頑張って関わるべきなのだろうか。そう考えることもあるかもしれません。
けれど、その人は承認や優しさを拒絶しているのではなく、何かを守っているのかもしれません。
ここで考えたいのは、「なぜ受け取れないのか」ではなく、その反応は何を守ろうとしているのか、ということです。
承認は、いつもそのまま届くわけではない
交流分析には、ストロークフィルターという考え方があります。
人は、与えられた承認をそのまま受け取るわけではないようです。褒められたときの「すごいね」、認めてもらう言葉、穏やかな優しさ。そうしたものにも、その人なりのフィルターがかかります。
特に子どもの頃、人との関わりが安全ではなかった人、むしろ危険だった人は、受け取らないことで自分を守り続けてきた可能性があります。
例えば、期待すると傷ついた。褒められたあとに裏切られた。近づくと傷ついた。失望することが続いた。
そうした体験が重なると、承認を受け取らないことのほうが安全になります。誰かから褒められても、最初から受け取らなければ傷つかずに済むからです。
その人にとっては、「この人からの承認」を受け取らないことが、自分らしく、そして安全に感じられることもあります。
同じ反応を続けるのは、幸せだからではない
人は幸せだから同じ自分を続けるわけではありません。慣れているから、同じ反応を続けることがあります。
交流分析では、ストロークフィルターは、その人らしさを維持することに役立つと考えます。
受け取れない反応を見ていると、こちらは変えたくなるかもしれません。「そんなふうに受け流さなくてもいいのに」「もっと安心して受け取ってくれたら」と感じることもあるでしょう。
でも、そのフィルターは、その人が生き延びるためにつくった知恵でもあります。
子どもの頃には、近づかないこと、期待しないこと、受け取らないことが必要だった。当時のその人にとっては、かなり合理的な方法だったわけです。
未熟だから受け取れないのではありません。受け取らないことで守ってきた歴史があるのかもしれません。
守るための方法が、安心からも遠ざけてしまうとき
大人になった今は、当時とは状況が変わっていることがあります。
安全な関係がある。安心できる言葉がある。穏やかな承認がある。
それでも、かつて必要だったフィルターが働くと、それらもすべて同じように危険なものとして扱われてしまうことがあります。
危険から身を守るための方法が、自分を安心させてくれるものからも遠ざけてしまう。ここに、承認を受け取れない苦しさがあります。
だからといって、必要なのはフィルターを壊すことではありません。防衛策なのですから、無理に壊そうとすれば、かえって危険なものになってしまうかもしれません。
少しずつ、「安全とはこういうものなのだ」と学び直していくこと。そして、自分が承認を受け取っても大丈夫だった、という経験を増やしていくことが必要になります。
相手が優しさや褒め言葉を受け取れないように見えるとき、ただ遠慮しているのだとか、「あの人はそういう人だ」と片づけることもできます。
けれど、その反応によって守ってきたものがあるのかもしれません。
そう考えると、相手を変えようと急ぐ前に、その人がどんな安全を守ってきたのかを見つめる関わり方が、少し見えてくるのではないでしょうか。
