褒めても、クライアントがまったく受け取らない。
認めているはずなのに、いつもどこかに不足感がある。こちらがどれだけ関わっても、まだ足りないというような表情を見せる。
支援の場では、そんなことが起こります。
承認は大切です。だからこそ支援者は、もっと認めてあげようと思うかもしれません。ただ、承認を増やすことだけでは、根本が変わらない場合があります。
では、承認しているのに、それが届かないとき、セッションでは何が起きているのでしょうか。
そのことを考える手がかりになるのが、交流分析でいう「ストローク経済」という考え方です。
ストロークが「自由なもの」ではなくなっている
交流分析では、人は本来、承認や関心、思いやりを自由に与え合える存在だと考えます。
ところが多くの人は、子どもの頃にその自由を失うようなルールを身につけると言われます。クロード・スタイナーは、幼少期に多くの人が次のようなルールを学ぶと述べています。
- 与えるな
- 求めるな
- 受け取るな
- 断るな
- 自分に与えるな
ストロークとは、承認や関心を含む、人と人とのやりとりのことです。
本来なら自由に行き交うはずのそのやりとりが、「貴重なもの」になってしまう。気軽に与えたり、求めたり、受け取ったりしてはいけないものになる。これがストローク経済の世界観です。
そう考えると、承認を受け取れないことも、単に褒め言葉が足りないという話ではなくなってきます。
「褒めすぎです」と言うときに起きていること
例えば、クライアントが褒められたときに、「そんなに褒めてもらえることじゃありません」「褒めすぎです」と言うことがあります。
本来であれば、人は承認を受け取れます。そして、うれしいはずです。
けれど、その受け取りにブレーキがかかることがある。
子どもの頃、「いい子でいたら褒めてもらえる」と学ぶことがあります。親の期待に応じることが、生きるための戦略にもなり得ます。
すると、承認はただ受け取るものではなくなります。「期待に応えたときにだけ得られるもの」になっていくのかもしれません。
このことは、大人になってからも別の形で現れます。会社では、評価されるために働き続ける。SNSでは、いいねがなければ価値がないように感じる。
いつも承認を必要としているように見えても、実際には承認を自由に受け取ることが難しい。その延長線上に、満たされない承認欲求があるのかもしれません。
支援は、ストロークを与え続けることだけではない
クライアントが不足感を抱えているなら、支援者としては、もっと認めようとするのが自然です。承認そのものは、とても重要です。
ただ、支援者がストロークを与え続けるだけでは変わらないことがあります。
本当に必要なのは、相手が「受け取ってもいい」「求めてもいい」「自分に与えてもいい」と感じられる、新しい体験なのかもしれません。
だとすると、セッションで意識したいのは、支援者が一方的に承認を渡すことだけではありません。
ストロークという関わりが自由に流れる世界を、一緒に体験していくことです。
求めてもいい。受け取ってもいい。自分にも与えていい。
支援とは、与え続けることではなく、クライアントがそうした自由を思い出していくことを手伝うことでもあります。
褒めても届かないように見える場面に出会ったとき、さらに承認を増やす前に、その人にとってストロークはどんなものになっているのかを見てみる。
セッションは、そのやりとりが少し自由になるための場になれるのかもしれません。
