クライアントが「あ、そうですよね」「わかっています」と答えてくれる。それでも次の週には、また元の状態に戻っている。

丁寧に関わっているのに、なぜか変化が定着しない。支援の場では、そんなことが起こります。

このとき、相手の理解が足りないのだと思うと、私たちはさらに説明したくなります。別の言葉で伝えたり、考え直してもらったりするかもしれません。

けれど、変化が止まっている理由は、本当に理解不足なのでしょうか。ひょっとすると、その変化がまだ身体まで届いていないだけかもしれません。

認知的・体験的な区別化と統合という観点から見ると、変化は新しい考えを入れることだけでは起きません。大切なのは、今まさに起きている体験との関係が変わることです。

「私が不安」と「不安が起きている」のあいだ

支援のなかで、起きていることと、それを見ている自分とを区別できるようになることがあります。センタリングで言われることの一つです。

例えば、「私は不安です」という言葉を、「私の中で不安が起きています」と言い換えてみる。

同じように聞こえるかもしれません。でも、この二つは実はかなり違います。

「私が不安」だと、不安は自分そのもののようになりやすい。一方で「不安があるんだ」と捉えられると、不安と自分との間に少し関係性が生まれます。不安をなくすべきものとして急いで扱う前に、その不安を観察できるようになる。そこに自由度が生まれてきます。

だから支援では、内容を変えることよりも先に、こうした観察者の視点を育てる必要がある場合があります。

頭の中の問題だけだった世界に、身体を戻してみる

考えや考え直すことだけで変化が起きにくいのは、身体意識と認知意識が別々にあるからです。その二つがつながったときに、新しい体験が生まれます。

例えば、クライアントが「職場に行くと苦しい」と話しているとします。

その理由をすぐに探す代わりに、「今、その話をしているとき、体はどんな感じですか」と尋ねてみる。

すると、こんな答えが返ってくるかもしれません。

> 胸は苦しい感じがします。でも、足は少し前に出たい感じを感じているみたいです。

それまで頭の中の「職場は苦しい」という問題しかなかった世界に、別の可能性が現れます。胸の苦しさがあることを否定せず、その一方で、足には前に出ようとする感じもある。

ここでは、苦しいか苦しくないかという結論を急ぐのではなく、身体のなかで同時に起きていることに触れています。認知と身体の体験がつながることで、それまで見えていなかったものが扱えるようになっていきます。

変容の入り口は、ほんの小さな変化かもしれない

支援者は、ときに大きな変化を探しがちです。本人がはっきりとした気づきを言葉にした、行動が大きく変わった、といった変化です。

でも実際には、呼吸がほんの少し深くなった。肩が少し下がった。声が柔らかくなった。

そんな微細な変化が、この後の変容の大きな入り口になっていくことがあります。

ギリガン博士は、センタリングを通して身体の微細なパターンに気づき、創造的無意識という無意識につながることができると言います。

だとすると、支援者が見るべきなのは、クライアントが説明を理解したかどうかだけではありません。今、その話をしているときに、身体は何と言っているようだろうか。その問いを、クライアントと一緒に持ってみることです。

言葉を変えても人が変わらないと感じる場面では、まだ言葉が足りないのではなく、体験に触れる余地が残っているのかもしれません。理解の先で、身体に起きている小さな変化を見つけられるかどうか。そのことが、次の変化につながっていくのだと思います。

カテゴリー一覧