こんにちはと挨拶したのに、相手から何も返ってこなかった。LINEを送ったけれど、既読のまま返事がない。

そんな時、出来事としては小さなことに見えても、胸の奥がざわついたり、「何か悪いことをしたのかな」と不安になったりすることはないでしょうか。

対人支援の場でも、クライアントさんに一生懸命関わっているのに、どこか届いていないように感じることがあります。反対に、話を聞いてもらえただけで安心し、涙が出る人もいます。

なぜ私たちは、相手からの反応をこれほど必要とするのでしょうか。今日は、交流分析でいうストロークという視点から、一緒に考えてみたいと思います。

挨拶やうなずきにも「あなたを認識しています」という意味がある

たとえば、街ですれ違った人に「いいお天気ですね」と声をかけたとします。そして相手から「そうですね」と返ってきたら、きっと少し嬉しくなるのではないでしょうか。

これは、言葉を交わしたというだけではありません。そこには、「あなたの存在を認識していますよ」というメッセージが含まれています。

ストロークは、言葉だけで行われるものではありません。表情や視線、うなずき、声の調子、ちょっとした反応も、相手の存在を受け取る関わりになります。

「いいお天気ですね」「そうですね」。この短いやり取りの中にも、お互いに相手の存在を認める交換があるのです。

正しい分析より先に、受け取ることが必要な時

セッションの中で、クライアントさんが勇気を出して、「本当はずっと怖かったんです」と、そっと話したとします。

その時、支援者がすぐに分析や助言に入れば、内容としては正しいかもしれません。けれどクライアントさんの無意識は、「私の言葉は受け取られていない」と感じることがあります。

一方で、「ああ、そうだったんですね。怖かったんですね」と、ひと呼吸置いて返す。その言葉だけでなく、タイミングや表情が重なることで、クライアントさんは「ここにいていい」「この気持ちは受け取ってもらえた」と感じられるかもしれません。

すると、体の力が少しゆるむこともあります。何かを解決する前に、まず存在と感情の存在が認められる。その順番が大切な場面もあるのではないでしょうか。

無視されると、自分の存在そのものが揺らぐ

「こんにちは」と言ったのに無視されたら、私たちは驚きます。「えっ」となり、不安になります。そして、「何か悪いことをしたのかな」「自分が悪かったのかな」と考えてしまうこともあります。

それは、単に返事がなかったから寂しいというだけではないのかもしれません。自分の存在が、相手には認識されていないように感じるからこそ、強いストレスになるのです。

だから、近所の人に挨拶をしようと思っても、「返ってこなかったらつらいな」と考えて、最初から言わないでおこうとすることもあります。

反応がないことは、私たちにとってそれほど大きな意味を持つ場合があります。

話を聞いてもらうだけで、癒されることがある

子どもについての研究では、食事や清潔さ、温度管理などが十分に整えられた施設で育っても、抱っこされたり、触れられたり、関わりを受けたりする刺激が少ないと、身体的・情緒的な問題が多く見られたという話があります。

人には、こうした刺激が必要なのだと言われています。抱っこや触れられることに限らず、目を向けてもらうこと、話を聞いてもらうことも、その人の存在を認めるストロークになります。

対人支援の中で、「ちゃんと話を聞いてもらえた」と感じるだけで満足したり、涙が出たりする人がいます。

それは、話の内容が解決したからとは限りません。「見てもらえた」「感じてもらえた」「受け取ってもらえた」と感じること自体に、癒される力があるのだと思います。

かつてそうした刺激が少なかった人にとっては、長いあいだ不足していた感覚があるのかもしれません。だからこそ、何かを解決することだけが支援ではなく、ただ丁寧に話を聞いてもらうことが、大きな意味を持つ場合もあります。

人は、理解される前に、まず認識されることを求めているのかもしれません。

支援者として関わる時、「正しいことを言わなければ」と急ぐ前に、目の前の人の存在を受け取れているかを感じてみる。あなたはここにいる、と伝わる関わりができているかを、私たち自身が問い直してみる。

対人支援は、問題を解決する営みであると同時に、その人が「私はここにいる」と感じられる感覚を、少しずつ回復していく営みでもあるのかもしれません。

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