クライアントさんが、あと一歩のところまで来ているのに、なぜかそこで止まってしまう。大事なところに触れたと思った瞬間、話題が変わったり、冗談のように軽く流されたりする。
対人支援をしていると、そんな場面に出会うことはないでしょうか。
そのとき私たちは、「ここで抵抗が出ているのかもしれない」と考えることがあります。けれども、ひょっとしたらそれは抵抗ではなく、まだ出会えていないもう一人の自分が関係しているのかもしれません。
今日は、セッションや治療が行き詰まるとき、クライアントさんの中で何が起きているのかを、一緒に見ていきたいと思います。
「いないこと」にされた自分がいる
クライアントさんの中には、かつて感じていたのに「感じていないこと」にされた感情や、本当はあったのに「なかったこと」にされた思いがあるかもしれません。
その人の中には確かに存在していたのに、見てもらえなかった部分。そうしたものは、ただ抑え込まれているだけではなく、「存在してはいけないもの」として扱われてきたことがあります。
だからこそ、そこに触れそうになると、クライアントさんは無意識のうちに離れていきます。
一瞬、涙が浮かんだのに、それをごまかすように笑ってみる。本当は、と言いかけたところで、別の話題に移る。少しだけ何かが出てくるけれど、そこにはとどまらず、すぐに立ち去っていく。
こうした動きは、支援者から見ると「話をそらした」「深まるのを避けた」と見えるかもしれません。しかし、そこには、そこにとどまると危険だという、かつての無意識的な学習があるのではないでしょうか。
本音に触れて、すぐに戻る「タッチアンドゴー」
この動きは、飛行機が着陸しようとして、一瞬だけ地面に触れたあと、また離れていく様子に似ています。
一瞬だけ本音に触れるけれど、すぐに元の場所へ戻る。私はこれを「タッチアンドゴー」と呼んでいます。
クライアントさんは、本当に何も感じていないわけではないのかもしれません。むしろ、感じたからこそ、すぐに離れる必要がある。その場にとどまることが、これまでの経験の中では安全ではなかった可能性があります。
そう考えると、話題が変わった瞬間や笑いが出た瞬間を、すぐに「抵抗」として扱うことの難しさが見えてきます。
支援者に求められるのは、急いで何かをしないこと
では、そのような場面で、支援者は何をすればよいのでしょうか。
このプロセスで大切なのは、そこで何もしないことです。
もちろん、放置するという意味ではありません。急いでその感情をつかまえようとしない。さらに深めようとしない。解釈を加えたり、変化を起こそうとしたりしない。
今、目の前で起きていることと一緒にいるということです。
「今、少し触れたけれど、戻っていった」と感じられる場面で、支援者がすぐに追いかけるのではなく、そこにいてくれる。その場があることで、クライアントさんは少しずつ、そこに触れてもよい、とどまってもよいという経験を重ねられるようになります。
頭で安全だと分かることと、体が安全に感じること
もう一つ大切なのは、関係を支える場です。
頭では「ここは安全だ」と分かっていても、体はそう感じていないことがあります。そのとき、人は変化を維持することが難しくなります。
落ち着いていても大丈夫。感じても大丈夫。ここにいても大丈夫。
そう感じられる場があってはじめて、触れたものがその人の中に少しずつとどまっていくのではないでしょうか。
だからこそ、私たちは支援者として、「自分は何かを起こそうとしていないだろうか」と、いつも心に留めておきたいのだと思います。
変化は、何かをするから起きるとは限りません。むしろ、「ここにいてもいい」と感じられる場の中で、自然に立ち上がってくるものなのかもしれません。
クライアントさんが一瞬触れて、また離れていくとき。そこを変えようと急ぐ前に、私たち自身がその場にいられているかを、静かに確かめてみてはいかがでしょうか。
