セッションの途中で、クライエントさんが突然、幼い子どものような話し方になったり、涙が止まらなくなったりすることはないでしょうか。

本当は家族に愛され、幸せな生活を送っているはずなのに、「私はひとりぼっちだ」と感じ始める。さっきまで普通に話していた大人同士の会話が、急に幼い雰囲気に変わる。

支援者としては、「いったい何が起きたのだろう」「現実とずれて見えているのではないか」と戸惑うかもしれません。

けれど、そこでは単に問題が起きているのではなく、クライエントさんの内側で、あるパーツが前に出てきているのかもしれません。

「怒っている人」ではなく、怒っているパーツを見る

私たちは目の前の人を見たとき、その人全体を、その瞬間の反応で捉えがちです。

怒っている人を見れば「あの人は怒りっぽい人だ」と思い、不安そうな人を見れば「不安な人だ」と考える。依存的に見える人には、「依存的な人」という印象を持つこともあるでしょう。

ここで少し見方を変えてみます。

「怒っている人」ではなく、今、怒っているパーツが前に出ている。その人全体ではなく、ある部分が前面に来ていて、それ以外の部分は後ろに回っている、と捉えるのです。

たとえば、普段は冷静なクライエントさんが、急に怒り始めたとします。そのとき、「実は攻撃的な人だったのだ」と見るのではなく、「今、とても必死に何かを守ろうとしているパーツが前に出ているのだな」と考えてみる。

そうすると、反応を問題として抑え込むのではなく、そのパーツが何をしているのかに関心を向けられるようになります。

感情を感じるのではなく、感情そのものになるとき

パーツが前に出たり、別のパーツが後ろに回ったりすることを、パーツの移り変わりや入れ替わりと考えることができます。

また、その瞬間にパーツと一体化している、ブレンド化している状態もあります。これは、感情を「感じている」というより、感情そのものになっているような状態です。

「私は孤独だ」「私はダメだ」「私は愛されない」。そう思い始めると、その人にはそれ以外の現実が見えなくなることがあります。

「私はダメだ。私はダメだ」と繰り返しているとき、まさにそのパーツと一体化している。自分の一部分が前に出ているという感覚すら、本人には持てないのかもしれません。

安全になったからこそ、痛みが動き始めることがある

私たちは、安心できる状態になれば、苦しさは和らぐと考えやすいものです。

もちろん、そういうこともあるでしょう。ただ、実際には、安全に触れたときほど、凍結していた痛みが目覚めることもあります。

かつて本当は欲しかったものに、触れることになるからです。

たとえば、パートナーとの深い結びつきを感じれば感じるほど、離れたくなる人がいます。褒められれば褒められるほど、「嫌だ」と感じる人もいます。

パートナーとのつながりによって、「本当はこんな安心が欲しかった」という、幼い頃に満たされなかった感覚に触れることがあるのです。

養育者とのつながりを拒絶された経験を持つパーツは、「つながることは危険だ」と学んでいるかもしれません。離れているほうが安心なのです。

だから、人間としてはつながりたいのに、つながろうとすると幼いパーツが出てきて、怒ったり、距離を取ったり、消えたくなったりする。

つながりたい気持ちと、離れたほうが安全だという反応が、同時に出てくるわけです。

反応の奥で、何かが生き延びようとしている

今は、つながったほうが安全なのかもしれません。それでも症状や不安定さが出てくることがあります。

それは、かつては役に立った反応だからです。以前は、離れることによって自分を守る必要があった。その生存戦略が、今の状況ではうまくいかなくなっているのかもしれません。

だからまず、クライエントさんの反応を見たときに、「今、どんな部分が前に出ているのだろう」と考えるところから始めてみてください。

クライエントさんの反応は、単なる問題行動ではないのかもしれません。かつての生存戦略を、今の安全に合う形へと更新しようとしている、その途中にある反応とも考えられます。

その人の内側で、何かが生き延びようとしている。

そういう表現で関わると、同じ涙や怒り、幼さのように見える反応も、少し違って見えてくるのではないでしょうか。

パーツへの関わりは、とても慎重さが必要です。けれど、その反応を「その人そのもの」と決めつけず、今どの部分が前に出ているのかを一緒に見ていくことは、支援の大切な出発点になるのだと思います。

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