ただ確認したいだけなのに、相手が急に怒り出す。丁寧に関わっているつもりなのに、なぜか噛み合わない。正しいことを言っているはずなのに、関係が悪くなってしまう。
こうした場面では、伝え方が悪かったのだと思いやすいかもしれません。でも、問題は言葉そのものではなく、やりとりの構造がずれていることなのかもしれません。
交流分析では、人は「親・成人・子供」という三つの状態からやりとりをすると考えます。会話が止まるのは、言葉の内容以前に、こちらが投げかけた先と、相手が返してきた場所が交差してしまうときです。
確認しただけなのに、なぜ相手は怒るのか
例えば、「今何時ですか」と聞く。これは、単に時間を確認するための、成人から成人への呼びかけです。
ところが相手が、「なんでそんなことを聞くんだ」と急に怒り出したとしたら、こちらは驚きます。成人から成人へ向けた問いに対して、相手は親から子供へ向けるような反応を返しているからです。
あるいはセッションの途中で、「一体何があったんですか?」と尋ねる場面を考えてみます。声のトーンも含めて、これは成人から成人への問いかけです。それに対してクライアントが、「いや、言いたくないです」と子供のような言い方で返してきたとします。
成人から成人への呼びかけに、子供からの反応が返る。ここで交流が交差します。これが交差交流です。
交差すると、会話は当然そのまま進みにくくなります。ただのコミュニケーションのずれというより、そこで動いている関係性の構造が表に出た瞬間とも言えます。
相手が求める役を、そのまま引き受けなくてもいい
交差交流は、意図せず会話を中断させることもありますが、関係の流れを変えるために意図的に起こすこともできます。
例えば上司から、「なんでこんなミスをしたんだ」と言われたとします。これは成人から発せられた言葉ではありません。成人であれば、通常はそのような言い方にはならないからです。親から子供へ向ける言い方です。
そして、この言い方には、心理的には「子供として返してね」というメッセージが含まれています。多くの場合、言われた側は「あ、すいません、すいません」と小さくなる。子供として反応するわけです。
すると、
「なんでこんなミスをしたんだ」
「すいません」
「だから言っただろう」
というように、親と子供のやりとりが平行に続いていきます。
でも、相手が親から子供へ向けてきたからといって、こちらが必ず子供として返す必要はありません。
「大変申し訳ありませんでした。一体どこを修正すればいいか、教えていただけますか?」
このように、成人として返すこともできます。親から子供へ来たものに対して、こちらは成人から成人へ返す。すると交流は交差し、そのコミュニケーションはいったん止まります。
もちろん、やり方には気をつける必要があります。ただ、相手が持ち込んできた親子の関係を、そのまま続ける以外の選択ができるということです。交差交流を通して、関係の質を変えていくこともできます。
いま誰が、どこから話しているのかを見る
大切なのは、目の前の人がいまどの状態からコミュニケーションをしているのかを観察することです。
親から子供へ向けているのか。成人から成人へ話しているのか。子供から親へ、あるいは子供から子供へ向かっているのか。
それと同時に、自分はどこから返しているのかも見ていきます。そのずれが、いま何を生んでいるのかを観察してみる。
これは特別な場面だけの話ではありません。日常のなかによくあります。
大人になって実家へ帰ったとき、いまは自分にも家族がいて、子供がいれば親として過ごしているのに、実家では急に子供として親とコミュニケーションしている自分に気づくことがあります。
そういう日常のやりとりから見ていくと、セッションのなかで起きていることも、少し違って見えてきます。
会話が止まったとき、ただ「うまく言えなかった」と考えるのではなく、いまこの二人の間では、どんな関係が始まろうとしているのかを見る。相手が向けてきた場所と、自分が返そうとしている場所を眺めてみる。
その観察ができると、関わり方は一段、二段と深くなっていくのだと思います。
