クライエントさんの感情に引っ張られて、自分まで苦しくなってしまう。あるいは、「ちゃんと関わらなければ」「何か言わなければ」と思うほど、頭が真っ白になってしまう。

対人支援をしていると、そんな瞬間があるのではないでしょうか。

言葉としては間違っていないはずなのに、なぜか場が落ち着かない。こちらは一生懸命なのに、相手にも自分にも、どこか緊張が残っている。

こうしたとき、問題はスキルや技法よりも前に、支援者である私たちの「中心」に起きているのかもしれません。

センタリングは、ただ落ち着くための方法ではない

今日は「センタリング」について、一緒に考えてみたいと思います。

センターにいる、センタリングをする、と聞くと、深呼吸をしてリラックスすることを思い浮かべるかもしれません。もちろん、それも入り口にはなります。

ただ、ここで扱いたいセンタリングは、単なるリラックス法ではありません。ギリガン博士が言うように、体や感情、意識、注意、行動がバラバラにならず、ひとつにまとまっている状態を指しています。

武道やダンスを思い浮かべると、少しわかりやすいかもしれません。動きが洗練されている人は、必要以上に力んでいません。かといって、力が抜けすぎているわけでもない。

体がまとまり、中心から軸を持って動いている。そうした状態は、支援の場でも大切な、自分の体と心の使い方につながっていきます。

「もっとちゃんとしなければ」と頑張る前に

多くの支援者は、相手のために「もっとちゃんとしなければ」と頑張ります。何か役に立つことを言おうとしたり、適切に対応しようと力を入れたりするのではないでしょうか。

けれども、センタリングは、新しく何かを作り上げることではありません。

ギリガン博士は、「センターに戻る」という表現をよく使います。センターは、もともと私たちの中にある。そこから不安や緊張によって離れてしまったときに、また戻っていくのです。

中心から離れると、気持ちや注意があちこちに散り、体も心もバラバラになったように感じることがあります。どうしよう、何か言わなければ、と焦るほど、かえって自分の軸を感じにくくなることもあります。

でも、中心に戻るために、特別な技術が必要なわけではありません。人にはもともと中心があり、そこへ戻ることができるのだと思います。

クライエントさんは、言葉だけを受け取っているのではない

支援の場で、クライエントさんが受け取っているのは、私たちの言葉だけではありません。

呼吸、緊張、姿勢、表情。焦りや間、視線といったものも、相手は無意識のうちに感じ取っています。

支援者がセンターを失っていると、挙動が少し不自然になったり、肩に力が入ったりします。そうした緊張感が、相手にも伝わってしまうことがあります。

そして、支援者側の不安が、その場全体に広がっていくこともあるでしょう。

反対に、支援者が中心を保てていると、内心では緊張していても構いません。「どうしようかな」と思っていても大丈夫です。緊張しないことが、センタリングの条件ではないからです。

中心にいると、言葉にならない雰囲気が自然に外側へ伝わっていきます。すると相手は、「あ、大丈夫だな」と、頭で考えるよりも先に、体で感じ取ることができるのではないでしょうか。

相手を見る前に、まず自分自身を感じる

私たちは、すぐに相手へ関心を向けようとします。相手の表情を見て、言葉を聞いて、何が必要かを考えようとします。

けれども、その前にまず、自分自身を感じてみることが大切です。今、呼吸はどうなっているのか。体に力が入りすぎていないか。気持ちや注意が、どこかへ飛んでいないか。

自分のセンターを整え、開いていく。そうすることで、相手に飲み込まれず、無理に頑張ろうとしたり、焦ったりすることから少し離れられるかもしれません。

対人支援では、何を言うかがもちろん重要です。ただ、その前に、私がどんな状態で関わっているのか。その状態そのものが、すでに相手への働きかけになっているのだと思います。

次にクライエントさんと会うとき、相手を見る前に、ほんの少し自分の中心を感じてみてください。そこに戻った私たちは、何を言うかだけではなく、どんなふうに「いる」ことができるでしょうか。

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